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文才の定義を考えたときに…


はろー!
現役Webディレクターのふじーです。

自分は文章を書くのが好きだし、仕事でもライティングをすることがあるので
「文才ってなんだろう?」
って、よく考えます。
勝手に思ってるんですけど、文才って、ちょっとわかりにくくないですか?

絵とかだったら、いろんな画風があるとはいえ、やっぱりうまい絵ってあると思うんですよ。
デッサンとかも不自然だったら、絵が描けない人でも見ればわかるし、
ヘタウマとかいわれる絵であっても、やっぱりプロの方の絵は統一感があったり。

音楽やスポーツも、けっこうハッキリできるできないがわかれると思います。
もちろん、努力もあるのですが、わりとパッとできる人と、そうでない人がわかれると思いますし。
(これも、すんなりできるから才能あるとも言い切れなかったり、最初苦労しても大成する人とかいろいろあるとは思うんですけどね…)

それにひきかえ、文章って、だいたい書けることは、みんな書けると思うんですよ。
小説とかは、文章以前に設定とか、話の組み立て、トリックとか、また別な要素があると思うので、みんな書けるとは言えないと思うんですけど。

でも、まぁ、普通の文章、ビジネスメールとか、報告書とかは、みんな毎日のように書いてるわけじゃないですか。
絵とか音楽だと、仕事に直結する人以外では毎日その行為自体をする人も少ないと思うので、やっぱり「書く」ことって身近だなって思います。

で、いわば誰でもできることだからこそ、「文才がある」の定義って難しいと思っています。
もちろん、いろいろな「文才」の定義があっていいと思うのですが、私が思う「文才」をまとめてみます。
(めちゃくちゃWebディレクターとしての感覚になっちゃってますがご容赦ください)

量産できる

ちょっと意外かも知れないんですが、質的なところより、「量が書けるか」ってことが、文才があるかないかの分かれ道だな、
と自分では感じています。

全然、ブログを量産できていない自分が言うのもあれなんですが、
やっぱり継続して、速く文章を組み立てていけるのって、ひとつの才能だと思います。

書ける人はたくさんいる、でも「速く」「書き続け」られる人は、なかなかいない。

速く書けるっていうことは、量産だけじゃなくて、トレンドに乗ってすぐに自分の意見を書いて、
拡散できるということでもあります。

よく「量か質か」っていうことが議論になりますが、
いや、そもそも量が質だよなぁって、私は感じています。

文字数の増減が自在(語彙力がある)

Webの業界にいるので、紙の世界ほど文字数の制限を感じたことがないのですが、
でもやっぱり、デザイン上そんな長ったらしく書けないこともよくあります。

プロモーションを考えると、Facebook広告も文字数制限があるし、Twitterの140文字も身近なところですよね。

逆に、SEO(検索エンジン最適化)を考えて、記事を長くしたいこともあるし。

意味を大きく変えずに、文字数を操ることは、本当にプロの仕事だなぁと思います。

自分もつどつど、類義語とか調べていますが、
やっぱりベースの語彙力がものを言うので、もっと小説とか、いろんな時代の文章を読んだ方がいいよなぁ。

ちなみに、これは実体験があって、
自分は「設備」とか「施設」とか
の漢語の言葉しか思いつかなかったことがあったのですが、
「しつらえ」という和語を出していただいて、
バシーっと、ハマったことがありました。

制約の中で書ける

Googleの検索で上位に来ることを狙うと、タイトルや見出しにキーワードを入れ込む必要があったり、自分の思うように書けないことも多いです。
あと、真面目なトーンで書かないといけない、っていうのも大きな制約になりますね。
吹き出しなどの装飾は使えず、地の文だけで読者を引きつけないといけないこともあります。

制約の中でも、どれだけ面白いものを書けるかっていうのは、すごく大事だと思っています。

制約があることを、つまらないと感じるのではなく、
それをゲーム的に捉えて面白がれるというのも、ひとつの才能かと。

という感じで、私にとっての文才の定義は「美文が書ける」とかじゃなくて、意外と泥臭いところにあるんだなぁ、と再認識した次第です。

才能という書き方をしましたが、どれもけっこう努力すれば伸ばせることだと思うので、これからもちょこちょこと頑張っていきます。

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